立磐神社は、その昔、神武天皇御東遷の際、美々津港より御船出するにあたり、航海の安全を御祈念され、海上の守護神であられる底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を奉斎したことに因んで、第十二代景行天皇の御代に創祀されました。
天正六年、大友氏と島津氏の耳川の合戦の戦火により、社殿及び宝物、貴重なる文献等は消失しましたが、元和九年に再興されました。
境内には、神武天皇が座られたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩其のものを神武天皇の御神体として崇拝しております。
昭和九年には、神武天皇が当美々津港を御船出され二千六百年に相当することを祝う記念事業として、境内の拡張、社殿の修築が行われました。
底筒男命(そこづつのおのみこと)、中筒男命(なかづつのおのみこと)、表筒男命(うわづつのおのみこと)、神武天皇(じんむてんのう)
「何地に坐さば天の下の政を平らけく聞こしめさむ。なほ東に行かむと思う。」
『古事記』中つ巻冒頭より
「どこにいけば、天下の政を平安に治めることができるであろうか。もっと東に行こうかと思う。」
カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)が高千穂の宮で、兄イツセノミコトに相談し仰せられた言葉です。
楠の木 市の保存樹指定
この楠の木は樹齢三百年とも四百年とも言われております。赤い鳥居が納められている洞(うろ)は、昔は子どもが中に入って遊べるほど大きかったのですが、楠の木の成長に合わせて小さくなりました。
ご参拝の折には、木の肌に触れ、生命のいぶき・パワーを感じていただけると幸いに存じます。
2018年9月1日
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